K.O.さん アメリカ移住~現地校転入編

私は日本の中学校を卒業してからアメリカに来た。

それまでは海外に住んだこともなかった(っていうのは嘘。小さい時に数ヶ月ほど住んでいたらしい。全く覚えてないけど)。

まあでも、東京生まれ。長崎育ち。英語学ぶ機会なんて学校くらいしかなかったし、
長崎と言っても中心地から離れてるとこだったから外国人と触れ合う機会も少なかった。

中2の時くらいからなんかアメリカの高校行ってみたい?とか聞かれててその時は特に深く考えもせずに
「うんー」とか返事してた。

そしたらいつだったかアメリカに行こうか、と親から告げられた。

アリゾナ州という初めて聞いた州だった。

グランドキャニオンがあるとこだよと言われてやっと理解した。

そこまで有名な会社でもないのにアメリカに事務所を開くと言い出した父。

けっこう前から考えてはいたみたいだけど行動力がすごくあるから
一度その気になったらもう抑えきれない父。

そこは父に似たなと自分でもつくづく思う。

 

正直アメリカに行くと言われたとき、特に嫌だとは思わなかった。

むしろ楽しみだった。

友達と別れるのは嫌だったけど、中学校のときは英語はすごく得意で学年の中でも
「かんな=英語」って言われるくらいだったから、学校で習うレベルの英語しか知らなかったけど
言語に関しては特に心配じゃなかった。

仲良かった英語の先生からも「かんなは英語”だけ”はセンスあるから大丈夫でしょ」って言われたし
本当に危機感というものが全くなかった。

いまとなってはその自信はどこから来たのだろうと不思議でたまらないが。

 

ある日、友達ともう少しだねーと別れを惜しんでた時に彼女は言った。

「すこし長い旅行に行くだけだよ」と。

 

そんなK.O.の長い旅行は2016年3月31日に幕を開ける。

(ここらへんは自分用の日記でもあるしめっちゃ長いので読まなくてもいいです笑。

「受験。」のところまで飛ばしちゃってください)

 


出発当日

空港に着いても全く実感が湧かなくて見送りに来てくれた友達たちと
いつものようにぺちゃくちゃ喋ってへらへらしてた。

友達にも本当に今からアメリカ行くの?って聞かれたぐらいだった。

でも、チケットを渡された瞬間いきなり実感が湧いてきて東京に向かう飛行機の中で
恥ずかしいくらい子供みたいに泣き叫んだ。

周りのひとたちにもかなり迷惑だったと思うけど、そのときはもう周りの目なんてどうでもよかった。

でも、東京に着いて少し落ち着いたら10時間も飛行機で映画見れるしわくわくだった。

いざアメリカに着いてもこれから数年間ここに住むという実感が本当に湧かなかった。

特に、最初の方はホテルに住んでたから余計に旅行気分だった。

めちゃめちゃルンルンだった。

でも、学校のレジストレーションとかをし始めて現実を見せられた。

あ、本当にこれからアメリカの高校に行くんだと。

 


アメリカの高校初登校日

地獄過ぎてあんまり覚えていない。

英語もわからないし誰も知らないし。

優しい子が一緒にご飯食べる?って聞いてくれてうれしかったのは覚えてる。

でも、そのときおにぎり持ってきてたのに、アリゾナ州ってカリフォルニアみたいに
アジア人あんまりいなくてなんか恥ずかしくて結局なにも食べなかった笑(なにやっとんねん)。

しかもその日家に帰ってから親になんで食べなかったの?って聞かれて
色々することあって時間なかったって嘘ついた笑。

私は初日が終わってあることに気づいてしまった。嫌な予感がした。

 

その予感は大当たり。学校は自分が思ってたより大変だった。

 

宿題もわかんないし先生が何言ってるかもわかんないし、特に、授業中にビデオを見ながら
ワークシートを埋めていく授業はほんっとに嫌いだった。

なんて言ってるか全くわかんないんだもん。

特にその授業の終わりまでに提出しなきゃいけないやつとかは途中で携帯で調べられないし
ストレスでしかなかった。

だから家に持って帰ってもいいかって聞いてその動画ネットで探して字幕つけながら埋めたり、
勇気振り絞って近くの人に写真撮っていい?って聞いて家に帰ってから写したりしてた。

最初の方は友達っていう友達もいなくて一生懸命近くの人のをこっそり写したりもしてた笑(ごめんなさい、写した人)。

毎日毎日クラス行く前に今日はなにするんだろうって心配して討論会とかの日は
学校さぼりたいくらい本当に行きたくなかった。

人前で英語を話すのが怖かった。

まあ学校さぼったことはなかったけど、討論会では一言も発さなかったこともあった。

そんな自分が惨めに思えたけどいつも自分に言い聞かせてた。

「英語わかんないからいいさ。ここにいるだけでも偉い」

って。いつも自分が周りと比べて英語ができないことを逃げる言い分にしてた。

いま考えるとすごくダサい言い訳なんだけど。。。

10年生の終わり頃に、ESLの先生から数ヶ月前に受けた英語のテストの結果見せられて、
来年からESL卒業だよ、普通の英語のクラスに行くよと言われた。

自分の成長を数字で感じれてすごく嬉しかったけどそれよりも不安の方が大きかった。

唯一、教室で”自分”でいられたのがESLのクラスだったから。

他の生徒も自分と同じって考えたらすごく楽だったから。果たして自分にできるのか、、、と思った。

 


11年生

新しい年の初日はすごくストレスだった。

幸いにも一番不安だった英語のクラスに友達がいて色々と助けてくれた。

先生もめっちゃいい人で、彼女も第一言語がスペイン語で、言語を学ぶことの難しさは私も知ってるから
サポートするよと言ってくれた。

ある日、英語のクラスで物語を作ってクラスの前で読み上げるっていうプロジェクトがあった。

友達ふたりと三人グループだった。

二人とも私が英語苦手って知ってたから二人に甘えてクラスの前で読むのも任せようと思ってた。

そしたらそのうちのひとりがかんなはどれ読みたい?って聞いてきた。

読む気なかったからえ。って思ったけど、そのとき自分は逃げてるだけだなって思った。

その前にも別の友達から「かんなはいつも自分が英語ができないって言ってるじゃん。ただの言い訳じゃん。
英語できるじゃん。ただ自分に自信がないだけ」って言われた。

自分がバカらしく思えた。英語が出来る出来ないは別として自分はただ逃げてたってことに気づかされた。

自分に都合のいいことだけをしてきた。

このままじゃダメだなって思った。

殻から出ないことにはなにも始まらない。

ぬるま湯につかってても何も得られない。

たまには自分を氷水とか熱湯に入れて鍛えることも必要。そしてそういう時に今まで見えなかったなにかが見える。

 

自分ができないことに挑戦すること。これがアメリカにきて一番学んだことだと言っても過言ではない。

でも、熱湯はだんだんと冷めてぬるま湯になってくる。

氷水もだんだんと室温になってきて浸かってるのが苦じゃなくなる。

そういう時に新しい熱湯や氷水を張った浴槽に浸かれるかが自分との勝負だと思う。

誰でも自分の居心地の良い環境にいたい。

そこでどれだけ自分の気持ちに勝てるか、それが人間に与えられた試練だと思う。

私はアメリカにきたこともそうだし、これから話すアメリカ国内での引越しもそうだし、
たまたま新しい熱湯に入らずを得ない状況にいた。

ぬるま湯から移されたこともあったしまだ冷めきってもないのにもっと熱い熱湯に入れられたこともあった。

でも、世の中にはずっとぬるま湯に浸かっててもいい状況にある人もいる。

自らを熱湯とか氷水にぶち込むのは容易じゃないし、自分にもできるかわからないけど、その大切さを学べたのは
アメリカに行ったからっていうのは絶対。

言っちゃえば英語は根性さえあれば日本でも話せるようになるけど、こういう考え方を身に染みながら手に入れるのは
日本国内だったらなかなかできないと思う。

 


引っ越し

11年生の途中に半分冗談半分本気でカリフォルニアに引っ越すかもって言われた。

できるだけ早く行った方が新しい学校に慣れるからって三月に引っ越すか引っ越さないかって感じだった。

結局引っ越さないことになってシニアの年もアリゾナにいる予定だった。

三月になってから今度はけっこうガチめに引っ越すかもって言われた。

父が引っ越したい?引っ越したくない?って一人一人に聞いてた。私は正直半々だった。

せっかくアリゾナの学校も慣れてきて友達もできたのにまた一から全部やり直しかよって思った。

けど、カリフォルニアの方が日本人多いし日本食とかにもありつけれるし、やっぱアリゾナより都会だから
キラキラしてたっていうのもあってすごく迷った。

結局結論は出さずどっちでもいい、と言った。弟がカリフォルニアに行きたいと言って父は引っ越すと決心した。

 

新しい学校に行くのがどれほどのストレスかはもうわかっていた。

でも、アリゾナの学校に行った時とは違って英語はある程度わかってたから前よりは自分から積極的に話せた。

それでも、シニアってもう高校最後でみんなお互い知ってるような感じだしなかなか馴染めなかった。

まあでもどうせ日本帰るし受験だし、学校生活できるくらいの数の友達いればいいって言う考えで、
友達たくさんいたってわけでもないけど今までそこそこ充実してやり通してきた。

ここで出会うほとんどの人は私のこれからの人生に関わらない。

何も気にすることない。

まあでもそれでも、アリゾナのほうが色々と安定してたな、とか友達に会いたいなとか思ったけど、
引っ越してきてなかったら東洋に通えてなかったし。マイナスもあったけどプラスも十分にあった。